この記事について
これはどんな記事か
これは1996年に富士見ドラゴンブックとして刊行された『ゲームのタネ!』(山北篤)の「旅」の章における中世ヨーロッパにおける情報伝達速度に関する主張が誤りであり、しかもそのことは同書籍が根拠としたであろう資料の記載自体から分かる、ということを指摘する記事です。
なんでこんな記事を書いているのか
2021年に『中世ヨーロッパ ファクトとフィクション』という翻訳書が出ました。これは中世ヨーロッパでは「地球が平面だと信じられていた」といった「劣っていた暗黒時代である」という方向性のデマや誤解(つまり、フィクション)を取り上げていき、その誤解を解くと共にそういう方向のデマや誤解が受け入れられやすい素地を作っている中世主義について批判している本です。
各テーマについて(1)どういうフィクションが広まっているか、(2)フィクションが広まった経緯とフィクションを広めた文献、(3)フィクションに対する反論と根拠となる分かりやすい中世当時の文献の翻訳、という順番で提示されていくのが特徴的です。特に(3)の文献資料の選び方が上手くて説得的です。原文は英語で欧米向けに作られているので、日本ではあまり知られていないフィクションも含まれているのですが、それでも読ませます。
さて、この本の感想として私の注意を引いたのは小太刀右京氏の以下のツイートに連なるスレッドです*1。
『中世ヨーロッパ ファクトとフィクション』、すごくいい本だったのですが、『D&D』から直接日本の中世主義が発展したような書き方については、「いやそうじゃなくて」という顔に。少なくともそこには80年代のケルト・北欧神話研究の流れと、ムアコックの流れがですね
— 小太刀右京/Ukyou Kodachi (@u_kodachi) 2021年4月24日
より具体的には下記の「我々が不勉強だとおっしゃられてるようでちょっとイヤ」の部分を読んで思うことがありました。
神話研究者や中世ヨーロッパ研究者、幻想文学者の知見が絶えず流れ込み流入したTRPG→ライトノベルの流れを「つまみ食い」で済まされるのは、なんだか我々が不勉強だとおっしゃられてるようでちょっとイヤですね。
— 小太刀右京/Ukyou Kodachi (@u_kodachi) 2021年4月24日
これを読んだときに、TRPG系の読者に向けて書かれた本の中に中世ヨーロッパに関する"風呂に入らず誰もが不潔だった"といった"劣っていた暗黒時代である"という方向性の怪しい論述を事実として書き、前掲書が批判する悪い意味での「中世主義」的な言説(これ以降本稿では「悪しき中世主義」と呼ぶことにします)を広めているものがあったはずだ、と思い出したのです。
たしか富士見ドラゴンブックで刊行されていたはずだ、ということでまずは持っている書籍の中から見直して見つけることができたのが『ゲームのタネ!』でした。同書の主張は中世ヨーロッパでの通信網の整備の遅れを指摘するものであり『中世ヨーロッパ ファクトとフィクション』で扱われているテーマではありませんでしたが、中世ヨーロッパについて「未開」あるいは「文明の退化した」地域だと主張するものです。
「風呂に入らない」系の記載もどこかで読んだはずと思いつつも見つけるのに時間がかかりましたが*2、同系統の記載は『ファンタジーRPG百の常識』(長尾剛)シリーズに含まれていることを後に見つけています。
今回は、『ゲームのタネ!』の方を取り上げます。こちらを取り上げる理由は、著者が参照したであろう資料を特定できたことと、指摘すべき箇所が一章だけでありかつ主張が明確である分明確な指摘が可能であることと、『ゲームのタネ!』については私が執筆中の同人誌で好意的に触れる予定があるので批判すべき点は先に批判しておきたかったことからです。
『ゲームのタネ!』の主張
『ゲームのタネ!』の「旅」の章で著者は「中世期のヨーロッパはものすごい後進国で、道路や通信網の整備において、他の地域から千年は遅れていた」と主張し、「実例」として以下のような主張をしています。
- 十三世紀モンゴルの騎馬飛脚は一日に375km進む
- 十四世紀のインドの早飛脚は一日に300kmだ
- 十四世紀の教皇急使は一日に100kmしか進まない
- ローマ時代なら連絡網が整備されていたので、一日に300kmほどの速度で連絡がついていた
- 一日に300km以上の速さは連絡網の整備があってこそできる
- 中世ヨーロッパは後進国だったので、このような進歩した制度を作れなかった
主張についての疑問
私が同書を読み返した際に気になったのはアジアの飛脚と比べられている「教皇急使って何?」 ということでした。「教皇急使」という用語をここ以外で見たり聞いたりした覚えがありません。教皇が誰か遠くの人に何かを伝えたくて急使を出す、ということ自体はありそうですが、「教皇急使」という役職や用語をこのコラム以外で見聞きしたことがありません。
アジアの飛脚を情報伝達の速度が速い例として比較対象に挙げていますが、この教皇急使というのは中世ヨーロッパの中では情報伝達の速度が速い例としてアジアの飛脚と比較するのに適しているのでしょうか?
こういうときはまずググってみます。”教皇急使”で検索すると3件だけヒットし、いずれも『中世の旅』(ノルベルト・オーラー)から中世の移動速度について引き写しているページです。他の用例は見当たりません。とすると著者が上記の主張をする際に参照した書籍はこの「中世の旅」である可能性が高そうです*3。この教皇急使が何者なのかについては、『中世の旅』を読まないと分からなそうです。
『中世の旅』の検討
「教皇急使」の謎
ノルベルト・オーラーの『中世の旅』*4の中身を検証してみましたが、「教皇急使」という存在がどういう存在かはっきりとは分かりませんでした。というのも、「教皇急使」という単語は同書142ページにある移動速度一覧の表の中にしか登場しないからです。索引欄から推測するに、93ページに登場する「教皇特使」や340ページに登場する「教皇使節」の表記ゆれの可能性があり、仮にそうであるとすると書簡(メッセージ)だけを急いで届けるというよりも教皇の決定事項を伝えると共に現地の情報を収集し、ローマに持ち帰る役目を果たせる人物の移動速度であると考えられます*5。
こういった人物の移動速度を交代しながら書簡や荷物だけを届ければ良い飛脚の速度と比べるのが適切かは疑問ですが、中世ヨーロッパについて教皇急使より速い通信速度の記録がないならそういう比較になるのも仕方ないでしょう。では、教皇急使よりも速い通信速度の記録はないのでしょうか。
移動速度一覧
ここで、『中世の旅』に含まれる「平均的な一日の行程」の表を見てみましょう。
「13世紀モンゴルの騎馬飛脚」「14世紀インドの早飛脚」といった表現とそれぞれの行程キロ数、「14世紀の教皇急使」という表現と平野部での行程キロ数からして、著者がこの表を参照しながら書いていたのはまず間違いないでしょう。
ここで注目すべきは「14世紀フランスとスペインの急使」という欄があり、行程キロ数が「150~200キロ」とされていることです。教皇急使より早い情報伝達手段が記載されています。比較するなら速いもの同士を比較するべきですから、ヨーロッパでの移動速度としてはこちらの数字を使うほうが適切です。
教皇急使の100kmと300~375kmとの比較だと3倍から4倍近くの差がつきますが、150~200kmと300~375kmでは1.5倍から2倍くらいに縮まります。差はありますが、だいぶインパクトが小さくなりますね。ヨーロッパは後進国だという結論につなげたいという思いがあったことにより、比較対象として選択すべきヨーロッパ側の移動速度を誤ってしまったのではないか、という疑念が生まれます。
「フランスやスペインではモンゴルやインドに比べて範囲が狭すぎるので比較対象として相応しくない」という判断をした可能性も一応考えられます。しかし、地域によって一日の行程に差があるのかどうかについて同様な吟味をモンゴルやインドの飛脚に対して行った形跡はありませんし、仮にそういう判断が行われたとしても同書において「フランスやスペインの国内の急使は150-200km移動できたようだが、それは両国のみに見られる〇〇の事情によると思われ、ヨーロッパ全体の移動速度として見るなら教皇急使が比較対象として適切」といったような記載をした上で『中世の旅』から参照したデータを使用していることを明記すべきでした。
結論
『ゲームのタネ!』はヨーロッパでの情報伝達速度について根拠としていた資料からいえることよりも劣ったイメージを広めてしまっています。これはTRPG系の書籍が悪しき中世主義を広げてしまった例です。
おまけ:『中世の旅』の悪しき中世主義
ここまで『中世の旅』という元資料に比べると『ゲームのタネ!』の記載は良くない、これは悪しき中世主義ではないか、という話をしておいてなんなのですが、『中世の旅』にも問題のある記載があります。
179~180ページにかけて、当時は「キリスト教著作者」により地球は球ではなく円盤だと信じられていた、この問題を討議すれば「啓示宗教の牧者との摩擦を招いた」、球だといえば異端審問の対象になり火刑に処されることもありえた、という記載があるのです。中世ヨーロッパで地球が平らであると信じられていた、とか地球が平らであるというのが当時のキリスト教の教義であったというのは後世で生まれた根拠のないデマであり*6、悪しき中世主義の代表例です。他の記載にも中世ヨーロッパの知識レベルや技術レベルを低く見てしまうバイアスがかかっているのではないか、と心配になります。また、学者の書いた本にも普通に悪しき中世主義が含まれてしまうことがあるのだから、一般人の読者がそれに影響されてしまうのは致し方ないところがある、ともいえます。
*1:小太刀さんのツイートの中身は訳者後書きに対する日本での中世ファンタジー要素の受容の歴史に関しての反論であり、同書の本論や今回の記事とはあまり関係がありません。
*2:ツイッターでつぶやいた断片的な記憶から知人がこれではないかと指摘してくれました。
*3:『ゲームのタネ!』の巻末にはブック・リストがありますが、『中世の旅』は含まれていません。歴史関係の書籍はほとんど含まれておらず、あえていえば「土佐日記」と「君主論」があるくらいです。
*5:ただ、そういう人物の移動速度だとすると後述の表に出てくる「替え馬を乗り継ぐ急使」と同等以上の速度ということになり、速すぎるかもしれません。教皇特使と教皇急使を同一視している索引の方がミスリーディング気味である可能性も十分にあります。正確を期するにはドイツ語の原文を確認する必要があるでしょう。
*6:前掲した『中世ヨーロッパ ファクトとフィクション』第2章やスティーブン・J・グールドの『干し草のなかの恐竜』に掲載されている「平面地球論の遅い誕生」で詳しく論じられています。